2010年04月30日
長野電鉄長野線 附属中学校前

ホーム配置は1面1線 所謂棒線駅です
バス停の様な名前ですが、附属中学校が西長野から移転してきた時に生徒の交通の便を考えて新設されました。




先生が事情を聞いていましたが、どうなったのでしょう。
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2010年04月28日
長野電鉄長野線 朝陽駅番外編

HMは村山橋架け替え記念です。
8500系を買うに際し、東急では先頭車が不足するので中間車に運転台を設置して譲渡となりました。
オリジナルの先頭車とはやはり顔付きが違います。
貫通扉に見えますが、下の写真を見てもらえれば判りますが機器があって使えません。
貫通扉に似せてあるだけですね。実用上は全く問題ありませんし、ウテシさんにとっては冬季に隙間風が入らないのでよいかもしれません。

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2010年04月27日
長野電鉄長野線 朝陽駅4

再掲載ですが、朝陽駅の長野駅寄り亘り線を使うシーンです



レイルマガジンライブラリー配線図にはこの亘り線が描かれていないのですが、配線図の少し後に設置されたのでしょう。
長野~朝陽 区間運転用かもしれませんね。



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2010年04月24日
長野電鉄長野線 朝陽駅1

昭和31年6月15日 信濃吉田~朝陽 複線化工事完成
6月28日 停車場に変更
ホーム配置は島式ホーム1面2線
本屋前の光はオーブではありません

腰掛が木製なのも懐かしさを感じます

秋~冬は閉めるのでしょうね。
これも温もりを感じます

構内踏切を渡ります、改札の金属柵が何故か嬉しいです
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2010年04月23日
長野電鉄長野線 信濃吉田駅3

信濃吉田と旧国名が付くのは新潟県内の越後線・弥彦線駅に吉田駅があるためですが、どちらが先でしたか?勉強不足ですね。
歩いて直ぐの北長野駅もかつて吉田駅と名乗った時代があるはずですが・・・

私の記憶や、レイルマガジンライブラリー86の配線図にも描かれています。
この写真の辺りから分岐していた感じですね。
建物の配置などで想像するに。

北長野駅周辺もかつての街道沿いの雰囲気が最近まで濃厚でした。
この辺りの不思議な空き地にも線路があった雰囲気が感じられますね。
もう手遅れですが、どうせ改築再開発するのであれば信濃吉田駅を島式ホーム2面の2面4線構造にして、特急や快速が普通を追い越すダイヤを設定をすればよかったかもしれませんね。
朝陽以遠が単線だから辛いといえば辛いですが。
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2010年04月22日
長野電鉄長野線 信濃吉田駅2

通路から志賀高原を眺めます

左に券売機がありあます。
撮影当日、買っている方が居たので撮影しませんでした。

パンタグラフを見るには好都合のお立ち台です。
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2010年04月21日
長野電鉄長野線 信濃吉田駅1

昭和2年10月15日 信濃吉田に改称
平成9年4月1日 全面改築
ホームは対向式2面2線です

再開発ビルとペレトリアンデッキ状に繋がっています。

ちょっとしたお立ち台ですね。

Nゲージレイアウトに丁度良い大きさのストラクチャーですな
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2010年04月20日
長野電鉄長野線 桐原駅3

鉄道模型のレイアウト初心の時は、大きな駅を作りたくなりますが、このくらいの駅でも作りこめば大変ですし、又楽しいものです。

駅本屋に対して新しいですし、蒸気機関車の洗礼を受けていませんから下回りも煤で汚れていません。


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2010年04月19日
長野電鉄長野線 桐原駅2

暖かい時期に撮影しました。
地方鉄道の典型的なホーム上待合室の様で、模型化に参考になります。

牧とは、かつて朝廷用の馬を飼育していた証拠です。


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2010年04月18日
長野電鉄長野線 桐原駅1

ホーム配置 対向式の2面2線


自転車置き場の中に駅本屋がある感じです。

昭和50年に新設されています。
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2010年04月18日
マラソン

写真的には、ぱてぃお大門から交差点のしだれ桜を入れたほうが絵になるのですが、中央通りを少し下がって交差点からランナーがどんどんと出て場面も面白そうなので、占位しまして待機しました。
仁王門を入れたいとの欲も出まして。

こち亀 のマラソンネタで交機の本田君が先導をしたい と練習するのですが挫折する話があります。
なにせバイクに乗った瞬間人が変わるので。
その巻の本題は一度挫折したマラソンランナーが復活してゆくスポ根話で、本田君ネタは所謂前座。
時間掲示車の大門交差点通過は、スタート後18分。

先導白バイ部隊と共に、拍手の音が近づいてきます。
見ていてもなんとなく興奮しますね

マラソントップランナーは何故にあれほど速いのでしょうね?
市井の人が全力疾走するのを2時間も維持できるなんて。
トレーニングの賜物とは言え、凄い


無神経なオヤジだ

撮り鉄でこれをやると顰蹙の雨嵐なんですがね、若者の道徳がないと 嘆く中高年や文化人・政治家が多いですが中高年の非常識者もかなり多いです、本当は。

ゼッケンが判らないのと、道幅一杯に走ってくるランナーの迫力で判別できませんでした。
上の失礼オヤジが来る前の写真ですな。
時間系列が入れ替わっています。

長野びんずるの連が一斉に同一方向で踊って移動すればこの様な状況になるのではないかと想像しました。
ひとつ気になったのは、観戦・応援する人がだんだん道路に出てきて、結果的にランナーの走路妨害をしている事ですね。
ロープで仕切るなり、監視する人を配置するなりしたほうが良いのではないかと思いました。

とても楽しそうに走り、周りの人も楽しそうです。
市民マラソンはこのような所が面白いです。

川バスかと思ったら松本ナンバーでした、松電所有車でしょうか。
まさか諏訪バスなんて事は無いでしょうね。

鬼無里・川後・県道戸隠方面からの川バスが国道406から中央通りに右折してゆきました。
今年のマラソンは日差しがあったから良いですが、風が結構冷たくて。
Posted by DT33 at
11:28
│Comments(2)
2010年04月17日
長野電鉄長野線 本郷駅3

歴史の違いでしょう。
駅を須坂側から眺めます。


どことなく鉄道模型ぽいですね。
本郷駅近くには、叔母夫婦の家がありまして幼少の頃遊びに行くと、長電の旧車の音や発車のホイッスルが良く聞こえました。

次回からはこの桐原を
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2010年04月16日
長野電鉄長野線 本郷駅2

正面の山は旭山でしょうね、加茂小学校~西部中学~長野商業と旭山麓の学校に通ったので大変親しみがあります。
これら学校の校歌には旭山と裾花川が歌い込まれています。


改札手前です。
改築時にデパートとして商店が何店も入り賑やかだったのですが、現在は塾等です。
少し閑散としていて寂しいですね
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2010年04月15日
長野電鉄長野線 本郷駅1
善光寺下駅で触れ忘れたのですが、私現在は無い城山保育園在園当時に園の見学で善光寺下駅に行きました。
詳細は全く覚えていませんが、貨車が止まってビンが詰まれてた事だけを何故か覚えています。
又、善光寺下駅の踏み切りで列車通過待ちの時に時々貨物列車が通過した事も記憶にあります。
では、本題。
開業 大正15年6月28日長野電気鉄道停留所として開業
昭和44年改築して橋上駅舎化され一部はステーションデパートして賃貸される
駅を出発する長野行き普通列車。
此処だけ見ると、東横線の何処かの駅のようですがしっかりと長野市内です。
線路沿いの柵が続きます。
角度が今ひとつですが、昔は此処からガスタンクが良く見えました。
撮影している時、ふと気が付きました。
柵の支柱はレールの再利用でした。
貨物も走っていたはずですが、なんとなくヘロヘロした感じです。
詳細は全く覚えていませんが、貨車が止まってビンが詰まれてた事だけを何故か覚えています。
又、善光寺下駅の踏み切りで列車通過待ちの時に時々貨物列車が通過した事も記憶にあります。
では、本題。

昭和44年改築して橋上駅舎化され一部はステーションデパートして賃貸される

此処だけ見ると、東横線の何処かの駅のようですがしっかりと長野市内です。

角度が今ひとつですが、昔は此処からガスタンクが良く見えました。

柵の支柱はレールの再利用でした。
貨物も走っていたはずですが、なんとなくヘロヘロした感じです。
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2010年04月14日
長野電鉄長野線 善光寺下駅2

スーちゃん(田中好子さん)のイメージカラーと同じですね。
改札は片側にしか有りませんから、階段も通常は一箇所です。
奥に見える非常口は通常は使えませんが、使える時があっては困りますが。

撮影時には階段のみです、足腰の弱い方の為にエスカレーターかできればエレベーターが欲しいですね。
自動車から鉄道・バスへ の動きを確実なものにするためにもぜひバリアフリー対策を望みたいものです。

支柱越しに列車が入ってくるのを見ると、都会じゃ~んと思ったりしますね。
同じ事を書いて恐縮ですが、地下鉄 と言われますが厳密には連続立体交差です。
あくまでも立体交差なのです、またトンネルは長大山岳トンネル扱いです。
その様にしないと、生え抜き特急2000系・かつて走った東急2500系2600系・小田急からの1000系や東急からの8500系T6編成が入線不可能になってしまうのです。
地下鉄規格にすると、車両に前面非難口がないイカンのですよ。

撮影時は長電経営でした。
このカモシカマークは長電特急マークと同じに見えますよね。
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2010年04月13日
長野電鉄長野線 善光寺下駅1

昭和5年停留所から停車場に
昭和56年地下化
ホーム配置 対向式2面2線
横断地下道も兼ねた、駅への階段です。

レイルマガジン・ライブラリー86 長野電鉄マルーン時代 には、当時の配線図が載っていますが亘り線や貨物引込み線も描かれています。
なんでも、林檎出荷の時期には貨物取扱量が相当になったそうです。

昨年の善光寺御開帳では特急も臨時停車しましたが、善光寺下の名前の通り城山下にあるので仁王門までは結構な登り坂を歩く事になります。
この道は昔の北国街道なのでしょう、昭和40年代は滑り止めを兼ねたごつごつしたセメント舗装でした。

地下道側から見た改札方面です。

開業時も善光寺参拝客の需要も考えられてはいたのでしょうが、それよりもこの駅が地上時代を考えると鬼無里街道や戸隠街道の結節点でも有ったのですね。
鬼無里や戸隠からの農産物等の出荷拠点としての機能も備えていた駅だったはずです。
桜枝町や西長野本通りからの延長上にこの駅はあります。
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2010年04月12日
長野電鉄 長野線 権堂駅 2

権堂のイメージカラーはオレンジ

下り線ホームには無いエスカレーターが装備されています。

柱もオレンジですね。


列車の時刻がまちまちなので、9~16時台はパターンダイヤに出来ないものでしょうか。
1000系が2編成だけとか、乗客が伴うのか の問題もありますが、パターン化されて覚えなくとも乗れるようになったほうが利便性が増すのですが。

08年撮影なので、今も有るかどうかは知りませんが。
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